寶藏巖の歴史聚落を保存するため、台北市政府文化局は旧建築の活性化により、聚落を三つの区に分かれた:それが「寶藏巖國際藝術村」、「寶藏家園」と「國際青年會所」。その中で「國際青年會所」は宿泊体験の提供によって、歴史聚落の発展過程にあった真実の生活模様を旅客に、その立地や空間構成や明晰の特性で独特な「場所精神(ゲニウス.ロキ)」を展示する。
明らかです、青年會所は「リンク」、記憶で人々の熟知したとしなっかった様々な物事を繋がれる連結。つまりそれらの意味ある物事が寶藏巖の豊かな歴史筋と多岐な空間構造の糸口になってあります。もし私達は人に寶藏巖という場所を解明しようが、確定できないとき、「青年會所」はまさにその「リンク」である。
《ドナウ ある川の伝記》(クラウディオ・マグリス、エヌティティ出版、2002)は旅行を言及するとき、旅館がいかなる分類に分かされた:豪華型、中流階級式、簡朴型、労働者階級式、地方風格型、港湾型、「大型パッケージツアー歓迎」、田舎家型、親王型、修道院型、慈善団体スポンサー型、貴族型、商業組合の旅館、海関と税務局、郵便局やトラック運転手組合の旅館。「寶藏巖」は無数の種類から変換し、融合しつつ、そしてその変形の中で自身の完成と衰微を見つけ出す。では、ここにあった旅館は一体どこに属すればいいでしょうか。
この旅館は、私達に早期の住民が山を開き、壁を穿鑿し建築した印象を伝ええられている。たとえただちらっと見るだけで、そこのある細部にも私達に山城の聚落の、その簡単だか重っ苦しい記憶を見せられる。マルコ.ポーロがクビライにヴェネツィアの物語を問われたとき:「記憶中の形象は、一旦言葉に固定されると、消去される。」を言った(《マルコ.ポーロの見えない都市》イタロ カルヴィーノ、河出書房新社、113ページ、2000)記憶はまるで濃密な沈む煙のよう、この山城を絡みつく。遠い物事の輪郭はまた違う風景を暗示する:過去、現在、そして未来をこの村を填めている。記憶だけで築かれた村、形貌も様式も人に忘れられた城の中にあったのはこの村だと謂うことです。
今日の私達にとって、無数の記憶の間に立っていた寶藏巖の旅館はここが生生流転の原由であり、絶え間なく行き来する旅人たち、まるで生命の流れの如く、反射されてくる。ここにあるこの旅館は一体どの種類に属するか、その最原点の聚落意義に返る、広くない部屋の中に必ずや均ししない壁で;うねうねとなる階段で、私達に物事の現実と本質を見抜かせる。もし旅人は変わった物事を探していれば、この村落旅館はきっと彼を覚まされたくなくなって白日夢の中に見失うでしょう。
だが、村はその古往今来を語りをしない、ただ隅底で時間と空間の刻みを残す。そこで変化するものは述べる字彙ではなく、物事である。人の同感は私達の住む場所から構成するもの。寶藏巖もその場所であり、それは私達にその中で慣れた物事を発見させ、時の流れによって鮮やかになる。
それが、私達は旅館そのものを「閣樓」と呼ぶ理由である。「閣樓」とはこの地方の経歴及び現在の形存を記憶に保存する納屋であります。それは逝くモノ或いは居るモノの所在、その場に寄せるすべての物事、その場に散る、全ては短く無常な生命の様態を語るであります。とある日、旅人はこの村落旅館に至る、曾て発生したすべては、時の刻の中で生命を一つずつ刻み、蜂巣みたい一室一室である小房の隅に、旅人達の憶えようとした物事を、ここに保存する。故に、この村落に係わった記憶は、断ち切るもしない絡繹たる、こっそりと旅人の記憶に留まり、寶藏巖に関する似たような、或いは対比のようなシステムを築き上げ:この村の部屋はどう建築するか、村人の名前、人数や扉の後ろにあった物語、それは消せずのため、ゆえにそれなりの様貌が得るようになります。
國際青年會所は一般の民宿や旅館などとは違う、發展觀光條例第24條第3項規定:「非営利活動の目的で特定対象に宿泊を提供する場所、各事業主管機関がその安全、経営等事項に関する管理方法を策定する」により、「臺北市寶藏巖聚落國際青年會所管理辦法」を策定し、國際青年會所は「文化創意產業發展法」に所定する各類文化創意產業之従業員と、寶藏巖聚落の芸文相関の教育訓練、研修、表演、学術交流、会議、見物或いはキャンプなど活動に参加する者という特定対象に提供する宿泊施設です。旅客は宿泊申込で相関資料を載って、審査を通過した後にしか、宿泊資格が得る。國際青年會所は宿泊する旅客様が、この短期の宿泊体験により、歷史聚落の発展過程でありました本当の生活する方の理解と、寶藏巖住民、レジデンス芸術家や民衆などとの交流を増加できるように希望します。